投稿

1月, 2018の投稿を表示しています

鳴瀬喜博(ナルチョ)に憧れてベーシストへ⑧

ベーススクールを数ヶ月通ったある時、鳴瀬先生に、私が以前作曲した録音データがある旨を話すと、「次回、音源と譜面を持ってくるように。」とのこと。次の回までに譜面をパソコンで書き、音源とともに持参。スタジオ内で、私の曲が流れ、鳴瀬先生が聴いている。全部で5曲持って行ったが、以外にも、褒められた曲があり、まずは、その曲をきちんと仕上げて行こうとのこと。最初に直されたのは譜面の書き方。譜面は手書きでないとなりません。記号や約束事をしっかりと指導を受ける。それから、コードのテンションについて、色々と深く話しが展開して行く。学生時代、誰かが「ナルチョは譜面が読めないらしい。」と言っていたのを聞いたことがあり、また、鳴瀬先生自身もセミナー等で「俺、譜面読めないんだ。」と言っていたりするが、この話、「全くの嘘!!」先生はすご~くコードには詳しい(セッション王であったり、東京音大の教授であるから当たり前ですね)。先生が直したり、先生からいただいたヒントの通りに編曲を続けて行くと、私の曲が「もしかしたら、何処にでも通用するような曲なのか。」と思ってしまう程、生まれ変わって行く。そして何よりも、元の曲からは離れていない。言わば、良いところだけを伸ばした。そんな感じがした。そして、その日のスクールが終了し挨拶をして帰り支度をしている時、鳴瀬先生は、私が作曲したフレーズを鼻歌で歌っていたりする。これには更に感動をした。言わば魔法である。本当に充実したエレキベース教室であり、素晴らしいベースの先生である。

鳴瀬喜博(ナルチョ)に憧れてベーシストへ⑦

秋葉原のイベント「鳴瀬喜博の診断しまっせ!」は、一般応募のベーシストが私を入れて確か6名が出場していた。その会場にはユーキャンのベース通信教育担当の方も見えており、その方から「この『診断しまっせ』の参加者に、もう1人、通信教育を行なっている人がいるから紹介します。」と言われ、Yさんと言う女性を紹介された。後にベース3人バンドを組む1人である。その後、Yさんはリンキィディンク西荻のベーススクールに入校。程なくして「診断しまっせVol2」の予定が決まり、鳴瀬先生から「おまえとYで出場するのはどうか?」とのこと。早速Yさんに連絡を取り、鳴瀬先生の曲であり、通信教育の卒業課題曲でもあったTalktoMyselfをツインベースで演奏。数ヶ月後の「診断しまっせVol3」も2名で出場するが、これはアコベー2名でLifeGoesOnを演奏。演奏後、せっかくだからと、今度は鳴瀬先生が入り、アコベー3名でもう一度LifeGoesOnを演奏。この時の演奏で、「音域のせまいベースでも、リード、コード、ボトムに分ければ、バンドになる。」と思い付き、ベースだけでバンドを組もうと考えた。私とYさんでベース3人バンドの企画を話しあったが、もう1人を誰にするか検討し、「診断しまっせ」に出場していたNさんを誘った。その後毎週末のように練習と試行錯誤を繰り返し、ベース3人バンドとして秋葉原のライブイベントに出場をさせていただけた。(ベーススクールで鳴瀬先生のライブ前チェックあり)その後Nさんは抜けてしまったが、ベーススクールの生徒で、鳴瀬先生のライブ会場でも良く顔を合わせていたAさんを誘い、Aさん、Yさん、私の3名でベースバンドを再結成。このバンドは10年以上続いており、現在は活動が減ってしまったが、これまでに鳴瀬先生プロデュースで「診断しまっせ」にゲスト出演したり、YouTubeへの動画投稿も行なっている。

鳴瀬喜博(ナルチョ)に憧れてベーシストへ⑥

鳴瀬喜博ベーススクールを数回通った際に、鳴瀬先生から、私が平行して受講していた「鳴瀬喜博ベース通信教育」について提案があった。それは、通信教育の課題を3個ずつ仕上げ(通常、課題は1つ)、録音したMDをユーキャンに送った後(ここまでは通信教育と一緒)、担当者の方がそのMDをベーススクールの私のレッスン時間に持参し、その場で鳴瀬先生に採点していただく方式とのこと。もちろん3個の課題は大変だが、そんな通信教育は聞いたこともなく、面白そうなので、その形で次からお願いした。実際に始めるとこんな感じ~!!私が自宅で通信教育の課題をベースで弾き、MDに録音。専用の封筒でユーキャンに郵送。数日後、リンキィディンク西荻のベーススクールへ行くと、待合室にユーキャンの担当者の方がいる。一緒にスタジオに入る。私が弾いてユーキャンに送った課題をスタジオで再生し、皆で聞く。その弾いた課題について、鳴瀬先生が演奏についてコメントを、ナ・ン・ト、その場でMDに録音。その録音MDはユーキャンの担当者が持って帰り(その場では私にわたさない)、数日後、ユーキャンから私の自宅へ郵送されて来ていた(あくまでも通信教育)。これが3回続き、通信教育も卒業することが出来た。最終課題曲は、TalktoMyselfであった。後の話しでは、この「鳴瀬喜博ベース通信教育」を卒業出来たのは 私を含め、3名しかおらず、私以外の2名のうち、1名は後にバンドを組むことになるYさんとのこと。

鳴瀬喜博(ナルチョ)に憧れてベーシストへ⑤

ベーススクール受講2回目に、今まで私が作成したベースマイナスワンカラオケを持参し鳴瀬先生に提出した。Akappachi-IsmとEccentric Gamesを聴いていただいたが、鳴瀬先生からは「何これ、完璧じゃん。」と言っていただき、私が作ったカラオケ合わせて鳴瀬先生がベースを弾いた。これまた凄~く!嬉しかった。その数ヶ月後、先生から驚きの提案!!「今度、秋葉原のイケベ楽器でイベントがあるんだよ。おまえ、カラオケ持参してそれに出ろよ。」とのこと。後日、担当の方から連絡があった。「鳴瀬喜博の診断しまっせ!」とのイベントで、内容は「一般のベーシストが患者としてベースを弾き、その患者さんに白衣を着た鳴瀬喜博先生がベース診断をする。」であり、私も締め切りぎりぎりで参加が決定。当日のイベントでは、Akappachi-Ismを私が作成したカラオケで演奏させていただき、更に、演奏後には鳴瀬先生から「カシオペアが演奏する本物のベースマイナスワンと、私が作成したベースカラオケの聴き比べ。」と言う時間を作っていただいた。私の作成したベースカラオケを会場の皆様に聴いていただき、また、先生からもカラオケの出来を褒められた(ベース演奏はイマイチでした)のが、またまた嬉しかった。その「診断しまっせ」イベントは毎年行なわれていて、なんと私は最終のパート5回目まで全て出場をさせていただけたのである。

鳴瀬喜博(ナルチョ)に憧れてベーシストへ④

「鳴瀬喜博エレキベース通信教育2度目」を進めて行く中、ある日ネット上で偶然、「リンキィディンクスタジオ西荻」にて、「鳴瀬喜博ベーススクール」が開校していることを知った。「師匠に会える!2人きりで会えるのだ。」とのワクワクした思いで早速電話にて予約。ベーススクールは基本的に電話にて予約をするシステムで、1人50分間の個人練習。15時~22時。当時は2回/月のペースで行なわれていたがすぐに埋まってしまう人気の高いスクールであった。最初の電話で申し込みの際に、「次回は15時からの講習のみ空きがある。」とのことで即予約。平日であったが会社の振替休日も溜まっていたので、当日は午後半休を取った。予約からスクール当日まではとても待ち遠しい。「何のベースを持って行こうかな。やっぱり8弦なのかな。ベースにサインをもらえるのかな。」等と、ベース自体のレッスンとは少し離れたことを考えながらワクワクしていた。いよいよスクール当日、会社の仕事を半日で終わらせ、1度帰宅。師匠に会うので、まずは風呂に入り体を清め、8弦ベースとサインをいただく用のマーカーを持参し、いざ「ベーススクール」へ。30分くらい早めに着いてしまい、ドキドキして待合室で待っていると、鳴瀬先生の登場。「君?どうぞ。」て感じで、スタジオの中へ。名前やバンド暦を聞かれ、レッスン開始。ケースから8弦ベースを取り出すと鳴瀬先生は笑い出し、「あはは~、なんで、8弦持って来るんだよ。あ、あれ、これZi-3-8Nなのに、アーム付いてるじゃん。改造したの?TUNEは凄いよな。他には何のベース持っているの?やっぱ復弦なの?」など、話しは盛り上がり、なかなかレッスンは始まらない。先生「普段何を弾いてるの?」、私「鳴瀬先生の曲のベースマイナスワンカラオケをDTMで作って、それに合わせてベースを弾いています。暗いですね。」、先生「暗くねーよ。凄く面白いよ。今度そのカラオケ持って来いよ。」凄く嬉しかった。そして、一通り話しが落ち着いたところでレッスン開始したが、なんど、レッスン用の教科書は、同時に私が進めていた「通信教育」の教則本であったこと。「私、鳴瀬先生の通信教育も受けてます。」と話したところ、鳴瀬先生は「それじゃぁ通信も一緒にやっちゃおうぜ、担当者へ連絡しておく。」とのこと。その日は運指連絡を中心に終了。最後に持参した8弦ベースに鳴瀬先生にサイン...

鳴瀬喜博(ナルチョ)に憧れてベーシストへ③

「鳴瀬喜博エレキベース通信教育」の卒業は最終段階で断念したものの、その後も鳴瀬喜博師匠のベースフレーズのコピーは続け、私自身の結婚式披露宴でもAkappachi-Ism~ベースソロを自作カラオケに合わせて演奏したほど。その後、今度はカシオペア20周年Liveの映像でEccentric Gamesの「ケロンパチ」の演奏を観て、「アーム付き8弦ベース」が欲しくなったってしまった。しかし、そこまで小遣いに余裕はなかったので、妻を説得し、家計から半額負担もらい、「Zi-3-8Nを12万円かけてアーム付きに改造」。その後は当然、Eccentric GamesのカラオケもDTMで作成し曲に合わせてベースを演奏していた。ある日、ベースマガジンを見ていた時、「鳴瀬喜博エレキベース通信教育」がリニューアルしていることを発見。通信教育は1度断念してしまっていたので、すぐにユーキャンに連絡し、今度は「TUNEベース付き通信講習」を申し込み。この時手に入れたTUNE TB-01Nがとても弾き易かったで、「やはりベースは全てTUNEにしよう」と考え、それまで持っていたエレキベースは全て売ってしまい、TUNEベースを揃えて行くこととなる。(現在は、4弦、6弦、7弦、8弦、5弦アコベー、5弦フレットレスを所有)

鳴瀬喜博(ナルチョ)に憧れてベーシストへ②

カシオペアコピーバンドを解散後、私はキーボードからエレキベースへ転向。丁度その頃、カシオペアに鳴瀬喜博氏が加入したことに、凄く驚いた私は、 早速「THE PARTY」 のCDとVHSを購入し、カシオペア2ndを堪能。そこで観た「8弦ベース」のパワーの凄いこと!更に本格的な驚きは、カシオペア「MADE IN MELBOURNE」のレーザーディスク。この中のAKAPPACHI-ISM~ベースソロがとても面白く、毎日、何回も繰り替えし観て、とうとう私もZi-3-8N(TUNEの8弦ベース)を購入した。そして、鳴瀬喜博師匠のコピーする日々が始まる。その後は鳴瀬喜博のイベントやセミナーがあれば受講。その頃のセミナーでの鳴瀬喜博師匠はと言うと、鳴瀬モデルのTUNEベースを次々交換し(アカッパチ、ベニテン、ケロンパチ、アコベー、シロレスなど)、ベースカラオケ(ベースマイナスワン)に合わせて演奏していたが、その迫力が凄い。それを観て私は「こ・れ・だ」と感じ「このカラオケに合わせたベース演奏を自分でもやりたい。どうしてもやってみたい」との衝動が体を駆け抜けた。早速、自宅のパソコンにて当時持っていた音源ROLAND SC-88ProとDTMソフトにて主にカシオペアの鳴瀬喜博氏の曲のベースカラオケを作成し、その完成した曲に合わせてベース演奏するのが日課となった。しかしこの楽しみは決して簡単でなく、実はベースカラオケは、DTMにて作成するのに非常に時間が掛かり、1曲作成するのに1ヶ月はかかっていた。新しい曲もどんどん弾きたいのでもっとカラオケ簡単に作れないものか?と考えている時、会社の先輩(ギターリスト)から、「鳴瀬喜博エレキベース通信教育」の雑誌広告を見せてもらった。「お、これなら、大好きな鳴瀬喜博フレーズも学べる上に、ベースマイナスワンのカラオケも手に入るかも。」と思い、すぐにユーキャンに申し込み。この通信教育は、「月に1回録音したテープを送り、鳴瀬喜博氏ではないが、別の先生からコメントが録音されて来る。」と言う方式で私は毎月テープを送り、通信教育が進んで行った。しかし、卒業まであと少しのところで、あまりにもレベルが高く、(卒業曲はNow or never等)納得の行く録音が出来ないことから、もったいないことに卒業を断念してしまった。(後で知ったのだが、卒業時のテープ返却には鳴瀬喜博先...

鳴瀬喜博(ナルチョ)に憧れてベーシストへ①

高校に入学したばかりの4月、偶然隣の席となったA君が、「ドラムを始めるからバンドを組みたい。」とのこと。私が子供の時にピアノを習っていたことを話すと、「君はキーボード担当でバンドを組まないか。」と提案を受け話しが盛り上がった。早速、自宅に帰り、両親に「原付バイクは乗らないから、そのお金でシンセサイザーを買って欲しい。」と説得し、当時の新発売であったKORG PORY 800を99,800円で購入。その後クラスメイトのY(ギター)、M(ベース)を誘い、4名でフュージョンバンドを結成した。選曲は高中正義「Jumping take off」、スクウェア「All About you」、カシオペア「The Soundgraphy」の3曲コピーで、秋の高校文化祭で演奏することを目的に毎週練習に励んだ。その頃、本家のカシオペアは全国ツアーでコンサートを行なっており、地元の横浜にも来ていたので、バンドメンバー4人でコンサートを観に行った。当時のカシオペアのメンバーは、野呂一生、向谷実、桜井哲夫、神保彰であり、コンサートを見終わった感想は「な・ん・て・面・白・い・ん・だ」と正直驚いた。そして、「このカシオペアを中心としたコピーバンドを積極的に続けたい。」と思った。しかし、ここで、不思議な気持ちが芽生える。「キーボードよりエレキベース面白い!!」当時はイカテンが放映されていたバンドブームであり、もちろん我々の高校でもバンド数が20以上はあり(あったと思う)、その中で「シンセサイザーを持っていて弾くことが出来る」私の存在は珍しく、他のバンドにも誘われることが多かった。しかし、自身が本当はやりだい楽器はエレキベース。だが、当時のバンド仲間では掟みたいなものがあり、それは「1度楽器パートを決めたら貫く。」と言うこと。なので、私は「キーボードとエレキベースの両方、もしくはエレキベースへ転向したい。」との言葉を言い出せないまま、高校生活が終了。大学に入ってから、このフュージョンバンドのメンバーはキーボードの私とドラムのA以外は変更が繰り返されるも、カシオペアのコピーや、オリジナル曲にトライすることで、バンドコンテストにも出場し、バンド活動は続けていた。しかし、次第にメンバーは揃わなくなりバンドは解散となった。そこから、かねてからの夢であったベース(まずはVestax 5弦)を購入しベースの猛練習...

必殺仕置屋稼業の感想

「必殺仕置屋稼業」は中村主水シリーズ第三弾であり、これまでの「仕置人」「仕留人」の様に中村主水がサポート役的な存在(出演しない回もある)ではなく、主水が中心となってストーリーが進められている。 出演者もかなり個性的である。必殺シリーズ登場2回目となる沖雅也が演じる市松は、棺おけの錠とは異なり、冷酷な殺し屋のプロとして徹底しており、仲間にも距離を置いている。更に「仕置屋」以外の仕事も行なっているほど殺しのプロに徹しているが、女、子供にはとてもやさしい。また、演出として、市松が登場の度に音楽が流れ、雰囲気も変わるが、これが心地よい。後の仕事人に出演する「組紐屋の竜」や「三味線屋の勇次」は市松の影響が大きいと思われる。新克利が演じる印玄は、市松とは正反対と言って良いほど、単純でわかりやすい。風呂を覗いたり、仕置き料は全て女遊びに使ってしまうが(女郎間でも手配書が回るほどの豪快)、根は真面目である。渡辺篤史が演じる捨三は、歴代の主水シリーズでは類を見ないほど主水に忠実であり、仕置屋としての正義感もある。むしろ、目明しの亀吉(小松政夫)より、よっぽど言うことを聞く。おこう(中村玉緒)も金と情けの使い分けがはっきりとしていて、主水との掛け合いを面白くしている。中村主水は今回、裏家業のリーダーでありその頼もしさが良く出ている。また、せん、りつとの生活、表の方の仕事ぶりも今まで以上に面白く表現が出来ており、飽きることがなく、むしろこの主水が自然体に見えてしまう。ある記事によると、藤田まことは「中村主水と言う人物は商売人の時に確立された。」旨を話していたと言うが、私は、「主水は仕置屋稼業で完成された」と思っている。中村主水と言う人物。一見普通のサラリーマンの様であり、実は裏の顔を持つ、ストーリーを進めるにおいて非常に重要な存在を固めるには、市松、印玄、捨三、おこうのような、個性が分かりやすく、はっきりとしている(通常では考えられない)人物がいるからこそ際立っているのだと思う。「仕留人」の感想でも書いたが、必殺シリーズの登場人物の個性は、むしろ有り過ぎる位が丁度良いかもしれない。仕留人の大吉や糸井は、どこかに居そうな感じがする人物(それはそれで良い)だが、仕置屋のメンバーは普通ではまずありえない人物が揃っている。個性が確立されていれば、1話ずつ完結でも、全ての回で矛盾点は少なく(監督や...

暗闇仕留人の感想

「暗闇仕留人」は必殺シリーズ第4弾、中村主水シリーズ第2弾。「仕置人」を解散した中村主水が、半次、おきんと再開し、偶然出会った義理の兄弟である、糸井貢(三味線弾き)、村雨の大吉(石屋)と「仕留人」を結成する。目的は「仕置人」とほぼ同じである。そして、全体的には仕置人に続いてとても面白い。しかし、この「仕留人」は、私が思うに「1話完結であるがゆえに起こる矛盾点」が多かったように思える。 <時代設定>:まず時代設定は幕末であるが、最終回以外で、幕末を大きく意識した回があっただろうか。唯一あるとすれば、半次やおきんの販売している品やお城に謙譲されている品くらいであろうか。これからシリーズを続けて行こうとするのであれば、このままでは明治時代となってしまう幕末にあえて設定し、また、その背景を活かした話しが少ないのは何かもったいない。結局、その続きとなる「必殺仕置屋稼業」では、時代は江戸に落ち着いている。 <半次>:15話で姿を消してしまった。いくら田舎で悲しいことがあったからと言って、そのまま帰らないと言うのはどうなのか。また、別の話しで、おきんが仲間を抜けたいと言った際に仲間の話し合いで、「俺たち仕留人の掟は」みたいなことを言っていたこともあり、勝手に仲間を抜けた形になっているのはどうも納得の行かない話しの進み方であった。 <りつ>:1度、「妊娠をしている。」との説明あり。その後、どうなったのか気になっていたが、何話か過ぎたあたりで、せんが主水に向かって「種無しかぼちゃ」と言って、妊娠をしていないことが明かされた。その後の「必殺商売人」では、殺し屋の主水が子を持つことの意味を考える設定であっただけに、なんとも軽い話しに見えてしまった。 <糸井貢>:舞台袖での三味線演奏者であったが、いつも間にか絵描きに転職をしており、そのためか、殺しの武器もバチに仕込んだ刃物から、自動飛び出し針に変わってしまった。必殺シリーズにおいては殺し業や職業は最後まで貫いて欲しいと思ってしまう。 <密会場所>:最初のうちは神社のお堂のような暗く狭い場所で、5人で密会していた。しかし、後半は石屋の家で堂々と裏家業の相談をしており、時にはうっかり敵に話しを聞かれてしまい、その相手を主水が切り殺す場面もあった。義理の兄弟だから日頃も仲が良い設定はわからないでもないが。 <主水>:お金を受け取っているのに、殺...

プロハンターの水原に憧れて筋トレ

筋肉に覆われた体に憧れたのは、いつからだろうか。小学校高学年の時、ブルースリーをカッコよい思い、小遣いで写真集やロードショー誌を買っていたのが最初である。当時はビデオやDVDもなかったので、写真集やテレビで放映される○曜ロードショーの映画などで情報を集めていた。中学2年生になり、日本テレビで始まった「プロハンター」。舞台は私が当時住んでいた横浜であったことから観始めたが、水原&竜崎の探偵が素晴らしくカッコ良かったことに驚き、すぐに釘付けとなった。特に、水原こと藤竜也が「鍛えた筋肉質の体」の上に着ていたファッションへの憧れが強く、「YokohamaMySoulCty」とバックプリントがあった黄色いブルゾンと白いTシャツが凄く欲しかった。そのブルゾンやTシャツをデパートなどで探しても当然に手に入る訳でもなく、まずは、大きなバックルの付いたベルトとジーンズ、キーホルダー(ズボンベルト横に引っ掛けるタイプ)、BVDの白いTシャツ、ネックレス、ウエスタンブーツなどを集め出したが、中学生と言うことあり筋肥大となるトレーニングはしていなかった。高校1年になり、その時の遠足は、東京(横浜に住んでいるのだが、修学旅行の自由行動の練習だそうで)であったが、服装は高校の制服でなく私服で良かった。私が選んだ服は、赤いブルゾン(プロハンターで1度だけ水原が着ていた物と一緒)、BVDの白いTシャツにネックレス、ジーンズにバックルの大きな太いベルトとキーホルダー、ウエスタンブーツと水原ファッションでキメており、自分ではカッコ良いと信じていた。しかし、遠足の写真が出来上がって高校の教室に貼り出してあったのを見た時に、そこに写っていた私は、肩幅が狭い、Tシャツが似合わない子供であり、とてもとても水原ではなかった。「何が違うのか?」その時は良くわからず、「まだ大人でないし、髭もないからかな。」等と思っていた。数ヵ月後、高校からの帰り道、本当に偶然であったが中学の同級生に会った。何処へ行くのか尋ねると「これから、柔道の道場に行って、バーベルで筋トレをする。」とのこと。面白そうなので、一緒に行ってみた。19時を過ぎていたので、道場には人はなく、併設する接骨院に院長と2名の先生がいた。同級生はその院長に「道場を借りたい。」旨を話すと、快く貸してもらえたので、私も便乗し、人生初となる筋トレを経験した。バーベル...

中村主水シリーズ

必殺シリーズは、「中村主水が出演するシリーズ」と「出演していないシリーズ」に分けることが出来る。中村主水シリーズは、必殺シリーズ第二弾「仕置人」にて、棺桶の錠が持って来た事件をきっかけに、主水と鉄が話し合い裏家業を続けることを誓ったことから始まる。必殺シリーズの中からこの中村主水シリーズを放映順に並べると「仕置人」、「仕留人」、「仕置屋稼業」、「仕業人」、「新、仕置人」、「商売人」、「仕事人」となる。様々なエピソードを個性的な仲間と裏の仕事を繰り返し、生き抜く中村主水。特に初期段階の各物語の繋がりはどうなっていたのかとても気になるので改めて纏めて見た。 主水の最初の出演作、「仕置人」が終了し、その後始まった「仕留人」の第一話で、中村主水が半次とおきんの2人と再会する。主水が2人に「もう1度裏稼業をやりたい。」と言ったところから話しは始まるので、仕留人は仕置人からの続きとなる。また、その後の主水、半次、おきん3人の会話でも「鉄や錠も江戸に帰って来ているかも。」と仕置人の出演者の名前を挙げていることから、「仕置人」→「仕留人」は完全に繋がっていると言える。 次に「仕留人」から「仕置屋稼業」への繋がりはどうか。仕留人が終了し、その後に始まった「仕置屋稼業」では、「仕留人」の話しは一切出ていない。第一話で髪結いの「おこう」が主水に「あんた仕置人ですね?」と言っていることから、「仕置屋稼業」は「仕置人」の続きと考えられるが、「おこう」の言っている「仕置人」は鉄と錠のいた仕置人のことなのであろうか?仕置屋稼業の第一話で主水が捨三を尋ねた際に、捨三は再開を喜び、主水からの調査依頼に対して「旦那、また、始めるんですかい?」と答える。捨三の態度は主水にとても忠実であり、仕置屋を始める際には自分から印玄にも声を掛けている。その後の捨三の調査方法や変装術を見ても、捨三は以前、主水と組んで裏稼業を行なっていたのではないか?と充分に考えれられる。おそらくだが、「おこう」の言う「仕置人」とは鉄や錠と組んでいたチームとは異なり、主水が捨三を仲間にしていた別の裏稼業チームがあったと想像が出来る。これらの話しから見ても「仕留人」が幕末であった時代背景を抜きに考えても「仕留人」からいきなり「仕置屋稼業」へとの直接の繋がりは考え辛い。 では次に、「仕置屋稼業」から「仕業人」はどうか。「仕置屋稼業」の最終...

必殺仕置人の感想

「仕置人」は、観音長屋の「棺桶の錠」が話しを持ってきた、処刑人の入れ替え殺人のうらみを晴らすことから、中村主水(同心)、念仏の鉄(骨接ぎ師)、棺桶の錠(棺桶屋)、おひろめの半次(瓦版屋)、鉄砲玉のおきん(スリ)の5人が集まり、毎回のさばる悪人を仕置きして行く物語である。まさか、この錠が持ってきた事件をきっかけに、数十年にわたる中村主水シリーズが始まるとは、その時点では誰が気付いていただだろうか。「必殺仕置人」の登場人物の個性は実に確立できていた。中村主水は、嫁と姑にいびられる昼行灯だが、剣はめっぽう強く仕置人の顔は別である。鉄は、酒と女に溺れるその日暮らしの豪快な面がある一方、人の話しを真剣に聞く程人情深いと思えば、殺しにはクールである。錠は、琉球育ちで気性が荒く字も読めないが、正義感が強く人に優しい。半次、おきんも、しっかりと脇を固め、1つの組織として出来上がっていた。また、牢名主、天神の小六も仲間であり、小六だけは、主水の本当の力を見抜いている設定がまた素晴らしい。個性的と言えば特に「念仏の鉄」。山崎努の演じたこの鉄は、声、人柄、動き、全てに憧れる男子が多かったのではないだろうか。「仕置人」以降、必殺シリーズにおいて、短髪は豪快な男が出ていたのは、恐らく鉄の名残りであり、それでも鉄は超えられず、結局「新必殺仕置人」にて山崎努はシリーズ再登場果たしている。その後もシリーズには短髪は豪快な男は登場するが、鉄を超える人物はいただろうか。なかなか難しいのではなかっただろうか。その1つの例として「ぱちんこ必殺仕事人」にも仕事人ではないのに念仏の鉄は登場し続けている。 「必殺仕置人」は1話ずつ完結であるが、1話完結であるがゆえに発生するドラマの矛盾点もほとんどなかったのではないだろうか。脚本や監督も、登場人物の個性が強いほど、安心してドラマを作って行けたのではないかと考える。また、最終回に誰も亡くなっていないのも、再結成があるのでは、との希望が持てる作品であった。平尾昌晃の作曲による音楽も軽快であった。シリーズ共通して、裏家業の殺しの際には、エンディング曲の歌なしバージョンが流れるが、「仕置人」に限り、もう1つ別の曲が用意されていたのも興味深い。