プロハンターの水原に憧れて筋トレ
筋肉に覆われた体に憧れたのは、いつからだろうか。小学校高学年の時、ブルースリーをカッコよい思い、小遣いで写真集やロードショー誌を買っていたのが最初である。当時はビデオやDVDもなかったので、写真集やテレビで放映される○曜ロードショーの映画などで情報を集めていた。中学2年生になり、日本テレビで始まった「プロハンター」。舞台は私が当時住んでいた横浜であったことから観始めたが、水原&竜崎の探偵が素晴らしくカッコ良かったことに驚き、すぐに釘付けとなった。特に、水原こと藤竜也が「鍛えた筋肉質の体」の上に着ていたファッションへの憧れが強く、「YokohamaMySoulCty」とバックプリントがあった黄色いブルゾンと白いTシャツが凄く欲しかった。そのブルゾンやTシャツをデパートなどで探しても当然に手に入る訳でもなく、まずは、大きなバックルの付いたベルトとジーンズ、キーホルダー(ズボンベルト横に引っ掛けるタイプ)、BVDの白いTシャツ、ネックレス、ウエスタンブーツなどを集め出したが、中学生と言うことあり筋肥大となるトレーニングはしていなかった。高校1年になり、その時の遠足は、東京(横浜に住んでいるのだが、修学旅行の自由行動の練習だそうで)であったが、服装は高校の制服でなく私服で良かった。私が選んだ服は、赤いブルゾン(プロハンターで1度だけ水原が着ていた物と一緒)、BVDの白いTシャツにネックレス、ジーンズにバックルの大きな太いベルトとキーホルダー、ウエスタンブーツと水原ファッションでキメており、自分ではカッコ良いと信じていた。しかし、遠足の写真が出来上がって高校の教室に貼り出してあったのを見た時に、そこに写っていた私は、肩幅が狭い、Tシャツが似合わない子供であり、とてもとても水原ではなかった。「何が違うのか?」その時は良くわからず、「まだ大人でないし、髭もないからかな。」等と思っていた。数ヵ月後、高校からの帰り道、本当に偶然であったが中学の同級生に会った。何処へ行くのか尋ねると「これから、柔道の道場に行って、バーベルで筋トレをする。」とのこと。面白そうなので、一緒に行ってみた。19時を過ぎていたので、道場には人はなく、併設する接骨院に院長と2名の先生がいた。同級生はその院長に「道場を借りたい。」旨を話すと、快く貸してもらえたので、私も便乗し、人生初となる筋トレを経験した。バーベルセット(台とバーベルセット合計55.5キロ分)があり、同級生の真似をして、ベンチプレスを中心に初の筋トレを堪能した。翌日は当たり前だが非常に厳しい筋肉痛。だが、そこで1つの疑問が解消する。「水原ファッションには筋肉が足りないのではないか?」筋肉痛が治まった、2日後、今度は私1人で接骨院に行き、「先日はありがとうございました。本日も道場を貸していただけますか。」を院長に話した。院長は「いつも19時過ぎなら空いているから、怪我をしないように自由に使って良いよ。」とのこと。なんとそれから、丸2年間、週に3回(試験の時は一週間休み)筋トレに通うことになる。また、不思議なことに、道場での筋トレを紹介してくれた同級生は、その後道場には1度も現れなかった。道場の端には治療用のベッドがあり、そこで時々、院長が患者さんに骨盤矯正の治療を行なっていた。私はその横で鏡に映しながら、筋トレを行なっていたが、院長から「もっとこうした方が良い。」と指導があったり、その他の先生2人が私と同じ時間に筋トレを行ない、更に少々柔道も教わったりもしていた。半年ほど経ったころから、上半身を中心に筋肥大が始まっており、高校でも体操着になると「良い体をしている。」と言われるようになった。また、体育の授業では器械体操(鉄棒や吊り輪など)や、ラグビーとなると、本当にその筋肉が役に立ち、体育の成績も5段階で5であった。更に、体に自信が持てたことで、前向きな高校生活をおくることができ、応援団の団長も勤めていたほどである。筋トレスタート時は、例えばベンチプレスは30キロであったが、2年後は65.5キロ(バーが10キロ、それに全てのダンベル55.5キロを取り付けていた)でも持ち上げるほど成長をしていた。しかし、この環境は続かなかった。なんど接骨院自体が近隣へ移動となり、道場の方は閉鎖になるとのことであった。おそらく300回は通ったであろう道場は、私にとっては道場の札に名前もなければ、一緒に通った仲間もいなかったが、道場閉鎖はそれなりに寂しかった。いよいよ道場が最後の日となったとき、院長は私にダンベル一式をプレゼントしてくれた。手では運べないため、院長の車で私の自宅まで運んでもらえた。これが、私が筋トレを始めたきっかけである。最近になって思うのは、私は感謝しきれない程、道場に通って筋トレしたのに、月謝も季節の贈り物も一切していなかったことが非常に心残りである。
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